徳和山吉祥寺は、承元年中(1207〜1210)武田五郎信光公当時の館石和より東北鎮護と甲斐源氏守護の為新羅三郎義光公より相承せる毘沙門天を本尊として開創される。

德和山吉祥寺緣起

この寺は甲斐国志によれば、鎌倉初期承元年中(1207~1210)武田五郎信光公(新羅三郎義光公より4代目)当時の館より東北鎮護と甲斐源氏守護のため、初代義光公より相承せる毘沙門天像をこの地に安置し開創したと伝えられる。

信光は武田家の始祖信義の子で石和氏を称したが、頼朝政権の確立過程で父信義及び兄たちが、次々と失脚したため、武田の惣領職を継いだ。信光は頼朝の信任篤く、承久の乱には後鳥羽上皇の院政が行なわれ、守護・地頭の罷免を要求するなど、朝廷の勢力挽回策をとるようになった。

こうした中将軍実朝の暗殺をきっかけに朝幕の不穏な空気が流れ、ついに承久3年上皇は義時追討の命令を発して挙兵。しかし北条泰時、時房を将とする幕府軍が20万の大軍を京都に向けた。1ヶ月の戦いで、勝利をおさめる。その中で5万の兵の東山道大将軍の一人として活躍し、安芸の国守護に任ぜられる。

その後、永禄八年(1564)国主信玄公出陣中の夢枕に、本尊昆沙門天が現れ堂宇の廃壊が告げられ、急遽再興されたと伝えられる。江戸時代に入り延宝7年(1679)近郷近住の浄財勧募により改修され現在にいたる。 吉祥寺略記(元文三年1738)

年中行事

1月1日元朝護摩修行初詣、 正月七福神めぐり
1月初丑の日本尊大開帳 大護摩供
3月21日彼岸会御影供
4月8日仏生会(花まつり)
4月18日(近辺の日曜日)本尊毘沙門天会式
7月7日施餓鬼法要
7月13日~16日盂蘭盆
9月30日夢窓国師忌
12月31日百八鳴鐘会